「三鷹大沢わさび」とは?
令和3年7月16日
朝日新聞の夕刊に「江戸のワサビ 令和のお宝」という見出しの記事が掲載されました。

東京都三鷹市の古民家保全地域で栽培されているワサビがDNA鑑定の結果、希少な在来種であることが明らかになり、この地域の宝を守る取り組みが始まっているという内容です。
わさびは日本の固有種で、日本では古くから利用されてきました。
かつて、在来種のわさびは日本の各地に自生していましたが、現在はほとんど残っていないそうです。
【参照記事】
朝日新聞 : 東京・三鷹の【幻のワサビ】DNAが伝える意外なルーツ
三鷹市HP : 三鷹市大沢の里古民家
このニュース、私は新聞で知ったのではありません。
もし新聞で目にしたとしても、それほど強く興味をもたなかったかもしれません。
私がこのニュースに魅かれたのは、江戸東京野菜コンシェルジュ協会会長の大竹道茂先生が「知ってた?」と連絡をくださり「これから、この幻のわさびの復活栽培と普及の手伝いをすることになるかもしれない。」と仰っていたからです。
大竹道茂先生は、江戸時代から昭和中期頃までに江戸・東京の地で生産されていた野菜の復活栽培と普及活動を手掛ける過程で、多くの人たちを巻き込みながら、その地域の持続的な活性化を実現されてきた実績が多数ある方です。
私が「幻の三鷹大沢わさび」に魅かれたのは、その歴史的・学術的な価値というよりも、これから、この地域の人たちが連携しながら「未来の物語」を紡いでいく可能性を感じたからです。
【参照記事】
大竹道茂氏のブログ「江戸東京野菜通信」
雨奇ブログ : 【江戸の農家の軒先を借りて雨宿り】
「旧箕輪家」大沢の里古民家
箕輪家
江戸時代から三鷹市大沢の地でワサビ田を経営してきた農家です。
(養蚕も営んでいました。)
箕輪家のワサビ栽培は、伊勢から江戸へ仕官のために訪れた「小林政右衛門」という人が大沢の地を訪れ、箕輪家の分家を継いだことから始まりました。
この地に来た政右衛門は、きれいな湧水を利用してワサビを栽培することを思いつき、郷里から苗を取り寄せて、こをワサビ田にしたと伝えられています。
当時、江戸では刺身が大流行していて、その薬味としてワサビ栽培が盛んになったそうです。
建物の歴史

旧箕輪家の古民家は明治35年(1902年)に創建されて、昭和55年(1980年)頃までは民家として使われていましたが、平成19年(2007年)に所有者の箕輪一二三氏から三鷹市に寄贈されました。
そして平成21年(2009年)、かつて農村だった三鷹の原風景を留める古民家として、三鷹市指定有形文化財に指定されました。
約120年の歴史です!
復元・整備工事
平成28年(2016年)から始まった復元・整備工事では、古民家を一旦解体した上で、この家屋の利用の変遷に応じて加えられた改修の最後の形状である昭和25(1950)~昭和55(1980)年頃の形状に復元整備されています。
復元整備する際、可能な限り元の部材が使用され、その割合は9割以上にのぼるそうです。
↓ リアルに再現された旧箕輪家の内部
縁側の先には、今も「わさび田」が広がっています。
窓から見える「わさび田」は美しい絵画のようです。

↓ ワサビ田で使った農具などの展示品も充実していて、テンションが爆上がりしました。

わさび田保全の取り組み

ここに残っているわさびは、江戸時代に栽培されていたものがそのまま残っているものだということがDNA鑑定の結果、明らかになりました。
そして現在、その貴重な種を保存する為の取り組みが市民協働で始まったところです。
古民家・わさび田見学ツアー【令和3年10月23日(土)・24日(日)】
わさび田への立ち入りは普段は制限されています。
私も今日は、わさびを近くで見ることはできませんでした。
しかし令和3年10月23日・24日の2日間、「幻の三鷹大沢わさび」を間近に見ることができる「わさび田見学ツアー」が行われます。
また同時に、「家(うち)は内(うち)?異界と繋がる古民家展の解説ツアー」も開催されるとのこと。

事前の申し込みは不要だそうです。
「直接古民家に来てね!」
大沢の里古民家 所在地 : 東京都三鷹市大沢2丁目17番3号
アクセス・問い合わせ先 : 三鷹市HP「三鷹市大沢の里古民家」を参照してください。
主催 : 三鷹市スポーツと文化部生涯学習課
↓ 旧箕輪家内で幻の三鷹大沢わさびの展示品を鑑賞中、ふと天井を見上げると…何か…いる!?

小さな女の子が「ひっ!」と小さな悲鳴を上げたのでその子を見ると、天井を見上げて固まっていました。
私もつられて天井を見てみると…。
人が「ひっ!」と悲鳴を上げるの、初めて聞きましたw
対岸の「大沢の里の水車」も見に行った。
大沢の里古民家 (旧箕輪家)のすぐ近く、野川を挟んだ対岸には旧峰岸家があり、ここで「大沢の里の水車」が展示されているのでこちらも見学してきました。

武蔵野地域では、江戸時代に徳川家が推進した新田開発に伴って、製粉・精米を行うための「動力水車」が数多く設置されました。
そして、昭和に入ると都市開発が進むのに伴って急激に減少していきました。
大沢の里で展示されている動力水車は通称「新車(しんぐるま)」と呼ばれるもので、文化5年(1808年)に創設されて、峰岸家が5代に渡ってその経営に携わってきたそうです。
まずは軒下を借りる
一旦は止んだ雨がまた降ってきたので、旧峰岸家の軒下で雨宿りをさせて頂きました。

↓ 旧峰岸家の母屋
建築されたのは文化10年(1813年)代頃と伝えられています。
200年以上の歴史!

↓ 旧峰岸家の屋根裏では養蚕が行われていたそうです。

見どころ
最大の見どころは巨大な水車です。
直径4.6メートル、幅1メートル。
製粉・精米用の水車としては、全国的に見ても最大級の規模を誇るものだそうで、水車が回っている様は大迫力でした。
写真・動画でお見せしたいのは山々なのですが、それはネタバレになってしまいます…。
代わりに…
野川のほとりに設置されている比較的小さい水車の動画をご覧ください。

まとめ
私が暮らしている東京都三鷹市で発見された「幻のわさび」三鷹大沢わさび。
その復活栽培と普及を目的とした市民の協働はまだ始まったばかりです。
私も一市民として、江戸東京野菜コンシェルジュとして、微力ながら関わっていけたらと思っています。
三鷹市を舞台に、これからどんな物語が紡がれていくのでしょう…?
楽しみです。^^