【入門編】江戸東京野菜とは?どんな魅力が?をコンシェルジュが分かりやすく解説。その上で…💡✨

江戸東京野菜とは?

江戸東京野菜とは、江戸時代から昭和中期(40年代)までは江戸・東京で一般的に生産されていた伝統野菜のことです。

現在広く流通しているF1種(※)と比較すると「収穫量が少ない」「病害虫に弱くて栽培に手間がかかる」「大きさ・形状が不揃い」等、生産するのが大変だったり、流通コストがかかってしまう等のデメリットがあります。

(※)F1種とは「優劣の法則(メンデルの法則)」を利用して品種改良された雑種第一代のタネのこと。現在、一般的に流通している野菜のほとんどはF1種です。

その上、昭和中期以降から都市開発が急激に進んで農地が減少していったことや、日本人の食文化が欧米化していった等の社会情勢もあって、江戸東京野菜は一時は市場からほとんど消えかけてしまいました。

しかし、生産者が種苗を自家採種したり、近隣の種苗商が確保してきたことによって、今日まで命が引き継がれてきました。

そして、現在はその価値が再評価されつつあり、伝統野菜を普及させようという活動が広がってきています。

【参照サイト】

TOKYO GROWN「ご存知ですか?江戸東京野菜

JA東京中央会「江戸東京野菜について

江戸東京野菜の魅力

その1 ~ 個性豊かな風味

江戸東京野菜が一時、市場から消えてしまったのは、風味がF1種に劣っていたからではありません。

「昔よく食べていた、あの味・香りが忘れられない」というファンの声は根強く、江戸東京野菜を食材として使うレストランも増えてきています。

参照 : 【究極の東京の郷土料理】粉から野菜まで!東京素材にこだわる「押上よしかつ」で季節の江戸東京野菜を頂いた。

その2 ~ 地域にまつわる物語

江戸東京野菜の一つ一つに地域にまつわる物語があり、これも江戸東京野菜の魅力になっています。

例えば練馬ダイコンには以下のような物語があります。


江戸幕府5代将軍「徳川綱吉(※)」がまだ松平 右馬頭(まつだいら うまのかみ)と名乗っていた頃、当時、江戸で多くの人たちが命を落とした病である脚気(かっけ)にかかってしまいました。

(※)「生類憐みの令」で有名

医者に診せても原因や治療法が分からず、陰陽師に占わせたところ「江戸城の西北に位置する“馬”がつく地名の場所で養生するように」と告げられた為、「下練馬」の地に御殿を建てて養生しました。

療養先で百姓たちの暮らしぶりを見て「彼らの生活が少しでも楽になるように…」と、尾張(現在の愛知県の西半部)からダイコンのタネを取り寄せて作らせたところ、土地の地大根と交雑して立派なダイコンが収穫できるようになりました。

綱吉は病が癒えると「これからは立派なダイコンが収穫できたら献上するように。」と庄屋に言い渡して江戸屋敷に戻って行き、その後、第5代将軍になりました。

【出典書籍 / 参照サイト】

大竹道茂 著「江戸東京野菜の物語

練馬区「練馬大根誕生伝説


魅力 3 ~ 復活栽培・普及活動のプロセスで形成される地域コミュニティ

江東区亀戸(かめいど)では産官学が連携して、地域一体で「亀戸ダイコン」をPRしています。

1999年(平成3年)以降、亀戸香取神社で毎年3月に「亀戸大根収穫祭」と「福分けまつり」が催され、多くの人たちで賑わっているのをニュース等でご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか?

参照 : 江東おでかけ情報局「第20回福分けまつり

注 : 2020年、2021年はコロナ禍のため中止

亀戸ダイコンは江戸時代末期に香取神社(江東区亀戸)の周辺で栽培が始まったと伝えられています。

しかし、江東区は明治以降から工業都市としての開発が進み、現在までに農地が完全になくなっています。

当然、江東区での亀戸ダイコンの栽培も途絶えてしまいました。

しかし、1998年に地元商店街の有志たちが地域活性のシンボルとして亀戸ダイコンに着目して「かめの会」を立ち上げて、復活栽培・普及活動を開始。

地元小中学校の花壇で学生たちに栽培してもらえるよう働きかけてタネを配布して、生産者に栽培指導を依頼したのが始まりです。

それから20年以上が経過した現在でも、これらの小中学校では亀戸ダイコンの栽培が学校行事として引き継がれています。

また、JA亀戸駅の線路脇には「亀戸大根 かめの会」の看板が立てられた植え込みがあり、駅員が亀戸ダイコンを栽培しています。

さらに、地元の老舗割烹「升本」がメニュー開発した「亀戸大根あさり鍋」は地元の方達から愛されているだけでなく、地域外からこれを目当てに店を訪れる方も多い人気メニューになっています。

【出典】大竹道茂 著「江戸東京野菜の物語

私が暮らしている地域(東京都三鷹市)に新たな江戸東京野菜が生まれる…かも?

三鷹大沢わさび

令和3年7月16日の朝日新聞の夕刊に「江戸のワサビ 令和のお宝」という見出しの記事が掲載されました。

東京都三鷹市の古民家保全地域で栽培されているワサビが、DNA鑑定の結果、希少な在来種であることが明らかになり、この地域の宝を守る取り組みが始まっているという内容です。

参照記事 : 【幻の三鷹大沢わさび】かつて三鷹でわさび栽培をしていた農家「旧箕輪家」を見てきた。

三鷹市役所の生涯学習課が担当となり、市民グループによる「三鷹大沢わさび」の保全・普及活動が始まっているのですが、私もボランティアスタッフとして参加させて頂けることになりました。

さらに、この「三鷹大沢わさび」を「江戸東京野菜」に認定しようという動きもでてきているのですが、こちらにも関わらせて頂けることになっています。

この活動を推進していく過程で、多世代の地域コミュニティをつくっていけたらと考えています。

地域の大学生たちがゼミの活動の一環として江戸東京野菜をPR!…していくことになるかも?

私は現在、冨澤ファーム(三鷹市北野)で援農ボランティアをさせて頂いています。

参照記事 :【江戸東京野菜の魅力も発信】野菜づくり体験を卒業して、援農ボランティアを始めました。

冨澤ファームさんでは江戸東京野菜も生産されています。

…と言いますか、私に「江戸東京野菜」の存在を教えてくださったのが冨澤さんで、私はそれがきっかけで約2年前に「江戸東京野菜コンシェルジュ」の資格を取得したのです。

先日、その冨澤ファームに地域の大学生たちと先生が視察にきてくれました。

ゼミの活動の一環として「江戸東京野菜」のPRをしてくれることになりそうです。

実はこれまでに何度か、学生の皆さん、先生、ゼミ生のOBの方とも「どのような活動にしていきましょうか?」と懇談してきました。

学生の皆さんが主体となって、楽しみながら活動していけるように。

それを地域の大人たちがサポートしていくような形で、息の長いプロジェクトにしていけたら…という方向で少しずつ進んでいます。

この取り組みの長期的な目的は…

1. 若者たちが地域の課題に目を向けて、自分で考えて行動できる人になっていく。

2. その過程で、若者たちを中心とした多世代コミュニティを都市農業を舞台にしてつくっていく。

ということです。

進捗につきましても、随時このブログやSNSでご報告していきます。

私にできることは極めて限られているので、今後、皆さまにご相談させて頂きたいことも多々でてくるかなと思っています😀

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。